『OLと家出少女 家出編』

 ある日、仕事から家に戻るとみはるが家出していた。

「少し、この家を出ます。探さないでください」

 と、書かれた書置きとともにみはるは忽然と姿を消していた。

 家出少女のくせにさらに家出するのかよ、と、私は軽く笑って、ソファに腰を下ろした。

 部屋は閑散として、物音ひとつしない。窓の枠がきしむ音や冷蔵庫の音がやけに耳につく。みはるが来る前は当たり前だったけれど、今感じると随分とうすら寒いものを感じる。そういえば、見もしないのにテレビをつけたり、携帯の動画を流したりしていたっけ。

 何もない、無音というものを私はなんとなく恐れていたのだ。それが続くと、何か気づいてはいけないものに気づいてしまうような気がして。

 ふぅー、と長く息を吐いた。その音すらも耳に残る。恐ろしい何かを忘れてしまうために。

 何か、じゃないな。孤独、っていうんだろう、それは。

 誰からも必要とされず、誰も必要とせず。

 誰とともにいたいわけでもなく、誰からもともにいようとはされない。

 誰に心を開くこともなく、誰からも心を開かれず。

 それが、そう、孤独、だったんだ。

 目を閉じた。孤独なんて慣れっこだった。私はいつも人の輪の中にいても、心の中はずっとうすら寒くて、そこじゃないどこかを向いていた。心なんて開かないほうが楽だった。分かり合うこともしなければ傷つかずに済んだ。そうすることで、私はずっと取り残されてきた自分を守ってきたのだから。

 でも、今は、少し。少しだけ。みはるがいないのが。不安だった。怖かった。寂しかった。

 少し、とはどのくらいなのだろう。そこら辺を歩いていて、すぐに帰ってくるのだろうか。あるいは、何か用事があって遠くまで出かけたのだろうか。それか、とうとう家に帰ってしまったか。心配なのは、出ていったのはいいが結局家にも帰らず歩き回っているのではないかということだった。

 そうなったら、あの子はちゃんと生きていけるのだろうか。

 考えてもわからない。答えなんて出ない。探しに行こうかとも考えたが、手足が妙に重くて、動く気になれなかった。

 動かない体をよそに思考だけはぐるぐると回る。

 自然なことだったのだ。あの子はいずれここを出ていく。家出少女がいつまでも帰らずにいるわけにもいかない。所詮ここでの生活は、ただの止まり木なのだ。いずれは飛び立って帰るべき巣に帰っていく。とても、とても自然なことだ。

 自然なことなのに、なんでこんなに虚無感を感じているのだろう。心の大事な部品が抜け落ちてしまったような。それとも、気づかなかっただけで、みはるというパーツが入る前は私はこんなだったんだろうか。もともと、欠陥品だったものが、うまく歯車がかみ合って回っていただけなのだろうか。

 いや、いい。もう考えるのも、気力がない。

 ついたため息とともに、指先や足先から心を構成していた。何かが抜け落ちていく。私という命に熱をともしていた何かが、ソファや床にしみて流れていく。

 あの子を拾ったことで、本当に救われていたのはどちらだったというのだ。

 意識が落ち込んでいく、深い深い水の底に私自身が落ちていく。

 いい、今はそれでいい。

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 用事を済ませて部屋に戻ると、なつめさんはソファに突っ伏して寝ていた。

 「なつめさーん、そんなところで寝てると風邪ひいちゃいますよ」

 声をかけても、反応はない。どうやら本当に寝入ってしまっているらしい。私はやれやれとつぶやくと、なつめさんの体に手をかけた。ベッドまで連れて行こうとしてみたが、結果から言うとうまくいかなかった。私の腕力では人まるまる一人は運べないのだ、ガッツが足りねえ。仕方ないのであきらめて、ベッドから毛布をもってきて、かけてあげることにした。

 「手のかかる大人ですねえ」

 毛布を掛けた後、私は何となく頭のほうによって髪を撫でてみた。いつかの誰かの真似だ。なつめさんの髪は私の髪と比べると少し傷んでいる。大人の髪だ、となんとなく思った。私より長く生きた分だけ、傷がしみ込んだ、そんな髪だ。

 撫でていた手に違和感があって、少し眺めてみる。

 薄く、濡れていた。

 なんとなく口に含むと涙の味がした。

 「なつめさん」

 そう呟いたときに不意になつめさんの頭が動いた。私は慌てて指を口から離して、なつめさんを見やる。なんだかまずいところを見られたような焦りで慌ててしまう。ただ、どうやらまだ起き切ってはいないらしく、なつめさんの目の焦点は合わず、ぼんやりとこちらを見ていた。

 ただ、起き上がったことでその頬が濡れているのがよくわかってしまった。

 泣いていたんだ。どうして?

 「     」

 私が口を開きかけたときに、なつめさんはゆっくりと私に近づくと、そのまま抱きしめるみたいに、しなだれかかってきた。驚愕で心臓が跳ねて、口も勢いのまま開く。

「なつめさん、ちょっと、そういうのはっまだっ早いっていうか」

 慌てたのが、自分でもよくわかってしまうような口の滑り方をする。自分の発言自体にどことなく気まずくなりかけたころに、ふと気づくとなつめさんはじっと私を抱きしめたまま、泣いていた。

 声を上げることもなく、震えもせず。ただ、私を抱きしめて、泣いていた。

 私は少し迷って、背中に手をまわして、なつめさんの頭をなでる。私よりしっかりした大人なはずなのに泣いている姿は私よりはるかに小さな子どもみたいだった。

 私はこの人と出会って、私一人で勝手に救われた気でいたけれど、案外そうじゃなかったのかもしれない。よくよく考えれば、私はこの人のことを何一つ知りはしないのだ。

 「勝手に出て行ってごめんなさい」

 「落ち着いたら、話したいことがあるんです」

 「なつめさんに聞きたいこともいっぱいあるんです」

 「私とお話ししてくれますか?」

 なつめさんは私の肩で小さく、うなずいた。

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